うめの生きていて思うこと

うめ(24)は都内在住の映像屋さん。日々生きていて思うことをストレートに綴る。

【002】死にたいと思うことは素晴らしい

こんにちは。

 

いい天気ですね。

 

「ゲホゲホ」

 

本日お仕事の予定でしたが、普通に高熱を出して、咳でビートを刻みながら、現在家でダウンしているうめでございます。

 

アラームを解除し、お昼までたっぷり寝ました。

 

とりあえず欝なときも、この方法が意外と効きます。

 

さて、

 

みなさんは眠りについた後、夢をみますか?

 

僕はほぼ毎日みます。

 

さっきも覚えてないけど嫌な夢を見てました。

(病気あるある)

 

一日運動して疲れ果てたりすると、夢に気づかないくらい深い眠りに落ちます。

 

ただ今はデスクワークなので、身体的にはあまり疲れないんですよね。

 

したがって、ほぼ毎日パラレルワールドに旅行するわけです。

 

そう、すなわち、

 

別世界。

 

夢をみることは別の世界に一時的に飛ぶことだと、僕は思っています。

 

夢にはおそらく様々な仮説や科学的根拠があると思うんですが、

 

現実世界から逃避したいなって思うと、夢を見ちゃうのかな?

 

なんて説を、僕は立てています。

 

これは死にたいって思うことと似てると思うんですよね。

 

死にたいとひとえにいっても、

 

「死」そのものにたいするイメージは宗教、個人の価値観によって変わってきますし、もっと言えばひどく曖昧なものです。

 

一番メジャーなのは、死んだら天国に行くか地獄に行くか。

 

仏教だと六道という考え方があります。

 

生まれ変わるという人もいれば、

 

消えてなくなるという人もいます。

 

でも共通していえるのは、

 

死にたいという衝動はここではない世界に移りたい

 

ということだと思うんです。

 

さて、

 

その願望は死なないと叶えられないのでしょうか?

 

付き合う人間を変えてみてはどうですか?

 

職場を変えてみてはどうですか?

 

学校を変えてみてはどうですか?

 

市から市へ移り住むのはどうですか?

 

県外に引っ越すのはどうですか?

 

いっそ海外に行ってみるのはどうですか?

 

最終的に星を変えてみてはどうですか?

(何年後になるのやら)

 

世界は狭いようで広い。

 

大昔であれば、村や島で生まれ、育ち、結婚し、そのまま死んでいく人だって珍しくはありませんでした(現在もいらっしゃると思います)

 

だが現代、こと日本においては、

 

別の世界に移り住むというアクションの敷居は低くなった。

 

と、思うんです。

 

昔に比べれば、情報も、先駆者も、支援団体も溢れています。

 

足りないものは本人の勇気と行動力だけだと僕は思います。

 

だから僕も会社を辞める覚悟で、今仕事を探しています。

 

何なら海外で学びたいことがあるので、今貯金をしている最中です。

 

そして、一番この記事で言いたいのは、

 

死にたいと思うことは素晴らしいこと

 

だということです。

 

死にたいと思う自分が情けない。

 

過去、僕もそう思っていました。

 

でも先ほどの死にたいという衝動はここではない世界に移りたいという言葉を思い出してください。

 

前向きに考えれば、今いる世界に不満があって納得いかないわけで、

 

それをどうにかしたいから死にたいわけです。

 

つまり、

 

死にたいときは自分が生まれ変わるチャンス

 

ということだと僕は思います。

 

だからいっぺん死にましょう。

 

あなたが望む世界を探しましょう。

 

そして生まれ変わりましょう。

 

言ってしまえば、簡単に身を投げてもいいと思った身体ですよね?

 

本気で死ぬ覚悟があるくらいなら、

 

どこにでも行って、何だってできるはずです。

 

自分を苦しめた周りのために、なぜ自分が死なないといけないのか。

 

それよりもできるアクションがきっとあるはずです。

 

どうせ死ぬのであれば、

 

現世で何か起こしてからでも遅くはないと思いますよ。

 

だから前向きに考えてください。

 

そしてまずは自分が自分らしく生きることのできる環境を探しましょう。

 

もし日本より住んでて心地いいよーという国があれば、

 

ぜひ教えてください。

 

うめ