うめの生きていて思うこと

うめ(24)は都内在住の映像屋さん。日々生きていて思うことをストレートに綴る。

【003】おひとよしはもうやめよう

こんばんは。

 

ここ3日間、ずっとベッドと遊んでいるうめです。

 

GW後半戦はほぼ家から出ずに、

 

だらだらしたり、

 

たまに本を読んで自分と向かい合ったり、

 

実に静かで孤独な3日間でした。

 

でもゆっくり向き合える時間ができたおかげで、

 

別れた彼女の幸せを願ったり、

 

もう少し他人に優しくなろうと考え直したり、

 

今いる会社も悪くないなーと思い直したり、

 

色々リセットすることができました。

 

こんなことばっかり考える辺り、

 

自分で言うのもなんですけど、

 

根が真面目

 

なんですよね。

 

これは僕個人の仮定ですが、

 

死にたいって思いつめる人ほど、

 

根が真面目な人が多いと思います。

 

そして、もうひとつは、

 

おひとよし

 

な人も、多い傾向にあると思います。

 

自分が生きていても他人の迷惑にしかならない。

 

他人のほうが絶対に非があるけど、自分が消えれば全部解決するんだ。

 

だから私が死んだほうがいい。

 

さよなら。

 

うん、

 

至極、悲劇のヒロインですね。

 

これはもうTSUTAYAの名作コーナーに並べるしかない。

 

ベンジャミン・バトンの押しのけて並べましょう。

 

で、

 

そういう人たち言いたい(過去の自分も含む)

 

死んでも人に迷惑かけますよ!

 

電車に飛び込んでの自殺は最たる例。

 

多くの組織、会社、人間のタスクに遅れを生じさせ、

 

大げさですけど、その日の経済を揺るがすわけです。

 

まあ、もちろんその罰として損害賠償が発生しますよね。

(つまらない理由で電車が遅延したときもその人に損害賠償払ってほしいですけどね)

 

そしてこの賠償は、もちろん親族にいきますよね。

 

はい、これだけですさまじい迷惑をかけています。

 

一度飛び込む前に賠償金額を調べてみてください。

https://xn--hckh0k432otmgyp1bvyji50a.com/souzoku-11887.html

 

おそらく、

 

諭吉が何枚あったらええのー?

 

というレベルでは済みません。

 

ビルから飛び降りようが、

 

部屋で首を吊ろうが、

 

いかなる死に方を選んでも、本人は苦しみ、また遺族も死ぬまで永遠に引きずることになるのですよ。

 

これが迷惑じゃないわけがない。

 

なぜこれまでの人生では真面目でおひとよしでこれたのに、

 

死ぬ間際だけ自分勝手になってしまうのか?

 

だったら、

 

生きて迷惑かけたほうがまだマシ!

 

です。

 

どうせどっちみち迷惑かけるのであれば、

 

自分が好きなことやって、

 

笑顔で暮らせる人生を送ったほうが、

 

親族も報われるんじゃないかと思います。

 

行動もせずに、

 

うじうじ死にたいとおひとよしを気取って、

 

死ぬときだけわがままになるのであれば、

 

今をめいいっぱいわがままに生きませんか?

 

もちろん最低限人に迷惑をかけないっていうラインはあると思いますが、

 

少しくらい他人に寄りかかっても、

 

僕はいいんじゃないかなと思います。

 

だから僕も、

 

少しだけやりたいことやらせてもらおうと、

 

周りに相談してみようと思います。

 

皆さんも、

 

もう少し、自分の存在、主張、価値を大切にしてあげてください。

 

うめ

【002】死にたいと思うことは素晴らしい

こんにちは。

 

いい天気ですね。

 

「ゲホゲホ」

 

本日お仕事の予定でしたが、普通に高熱を出して、咳でビートを刻みながら、現在家でダウンしているうめでございます。

 

アラームを解除し、お昼までたっぷり寝ました。

 

とりあえず欝なときも、この方法が意外と効きます。

 

さて、

 

みなさんは眠りについた後、夢をみますか?

 

僕はほぼ毎日みます。

 

さっきも覚えてないけど嫌な夢を見てました。

(病気あるある)

 

一日運動して疲れ果てたりすると、夢に気づかないくらい深い眠りに落ちます。

 

ただ今はデスクワークなので、身体的にはあまり疲れないんですよね。

 

したがって、ほぼ毎日パラレルワールドに旅行するわけです。

 

そう、すなわち、

 

別世界。

 

夢をみることは別の世界に一時的に飛ぶことだと、僕は思っています。

 

夢にはおそらく様々な仮説や科学的根拠があると思うんですが、

 

現実世界から逃避したいなって思うと、夢を見ちゃうのかな?

 

なんて説を、僕は立てています。

 

これは死にたいって思うことと似てると思うんですよね。

 

死にたいとひとえにいっても、

 

「死」そのものにたいするイメージは宗教、個人の価値観によって変わってきますし、もっと言えばひどく曖昧なものです。

 

一番メジャーなのは、死んだら天国に行くか地獄に行くか。

 

仏教だと六道という考え方があります。

 

生まれ変わるという人もいれば、

 

消えてなくなるという人もいます。

 

でも共通していえるのは、

 

死にたいという衝動はここではない世界に移りたい

 

ということだと思うんです。

 

さて、

 

その願望は死なないと叶えられないのでしょうか?

 

付き合う人間を変えてみてはどうですか?

 

職場を変えてみてはどうですか?

 

学校を変えてみてはどうですか?

 

市から市へ移り住むのはどうですか?

 

県外に引っ越すのはどうですか?

 

いっそ海外に行ってみるのはどうですか?

 

最終的に星を変えてみてはどうですか?

(何年後になるのやら)

 

世界は狭いようで広い。

 

大昔であれば、村や島で生まれ、育ち、結婚し、そのまま死んでいく人だって珍しくはありませんでした(現在もいらっしゃると思います)

 

だが現代、こと日本においては、

 

別の世界に移り住むというアクションの敷居は低くなった。

 

と、思うんです。

 

昔に比べれば、情報も、先駆者も、支援団体も溢れています。

 

足りないものは本人の勇気と行動力だけだと僕は思います。

 

だから僕も会社を辞める覚悟で、今仕事を探しています。

 

何なら海外で学びたいことがあるので、今貯金をしている最中です。

 

そして、一番この記事で言いたいのは、

 

死にたいと思うことは素晴らしいこと

 

だということです。

 

死にたいと思う自分が情けない。

 

過去、僕もそう思っていました。

 

でも先ほどの死にたいという衝動はここではない世界に移りたいという言葉を思い出してください。

 

前向きに考えれば、今いる世界に不満があって納得いかないわけで、

 

それをどうにかしたいから死にたいわけです。

 

つまり、

 

死にたいときは自分が生まれ変わるチャンス

 

ということだと僕は思います。

 

だからいっぺん死にましょう。

 

あなたが望む世界を探しましょう。

 

そして生まれ変わりましょう。

 

言ってしまえば、簡単に身を投げてもいいと思った身体ですよね?

 

本気で死ぬ覚悟があるくらいなら、

 

どこにでも行って、何だってできるはずです。

 

自分を苦しめた周りのために、なぜ自分が死なないといけないのか。

 

それよりもできるアクションがきっとあるはずです。

 

どうせ死ぬのであれば、

 

現世で何か起こしてからでも遅くはないと思いますよ。

 

だから前向きに考えてください。

 

そしてまずは自分が自分らしく生きることのできる環境を探しましょう。

 

もし日本より住んでて心地いいよーという国があれば、

 

ぜひ教えてください。

 

うめ

【001】クリーニングモード

こんばんは。

 

GWも残りわずかなのに、明日もお仕事があるうめです。

 

現在Wワーク中で、平日と休日の2つのお仕事があります。

(明日は後者)

 

よくよく考えると、

 

「週7勤務やないか!」

 

人間には休みが必要不可欠だと思っています。

 

いや、人間に限らずかな。

 

犬だって寝ますし、無駄にゴロゴロしてます。

 

機械もたまには電源コードを抜いたり、クリーニングモードなる機能があったり、

 

クリーニングといえば、スーツもクリーニング屋さんにだしますよね。

 

何もしない時間が身体におけるフラットな状態であるならば、

 

仕事や運動した分、

 

休暇でバランスをとることは当たり前のことですよね。

 

ところが現在、心身ともに汚れがべっとり。

(お風呂には入ってますよ!)

 

僕もクリーニングに出される時が来たみたいです。

 

ただ、人間のクリーニング方法は、

 

それぞれの機械の説明書が違うように、

 

それぞれのクリーニングモードがありますよね。

 

寝る、

 

カラオケでシャウト、

 

ふらっと旅行、

 

僕はというと、お笑いをみることでした。

 

それはけっこう昔から変わらなくて、

 

じつは中学、高校と6年間、引きこもり屋さんをやっていたのですが、

 

そのときも支えになってくれたのはお笑いでした。

 

当時はダウンタウンが気が狂うくらいに好きで、

 

おかんに近所のTSUTAYAに連れて行ってもらっては、

 

ダウンタウンガキの使いやあらへんで!」

 

ダウンタウンのごっつえええ感じ」

 

などのDVDを借りて、こもって浴びるようにみていました。

 

笑うって、素晴らしいことです。

 

ただそれは、苦しい日常から一時的に現実逃避させるものではなかったと、最近になってしみじみ思います。

 

有名なイギリス出身のコメディアン、チャールズ・チャップリンの名言の中に、こんな言葉があります。

 

「人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇」

 

苦しいときはどうしても、自分の中にふさぎこんでしまうというか、クローズアップしてみてしまう側面が人間にはあると思います。

 

でも、外から笑いのエッセンスを受けることで、

 

「自分が苦しんでることなんて、ちっぽけなことかもしれない」

 

と、ロングショットに導いてくれました。

 

また、中島みゆきが1975年に発表した「時代」という曲の歌詞には、

 

そんな時代もあったねと

いつか話せる日がくるわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

 

とあります(一部抜粋)

 

そう、

 

恋も、

 

喧嘩も、

 

別れも、

 

時間が経てば、全て笑い話として語れるのかもしれません。

 

決して一時的な現実逃避ではない、

 

人生をみる視点、スケールを、

 

お笑いは僕に教えてくれました。

(「時代」もね)

 

そして今でも、僕のクリーニングモードはお笑いをみることに設定されています。

 

あなたのクリーニングモードはなんでしょうか?

 

もし人生に行き詰ったときは、

 

まずはあなたがやっていて楽しいことを思い出してください。

 

そうすれば、

 

楽しいことも辛いことも、

 

自分がどの位置にカメラを置いて撮るかだけで全然印象が違うんだよって言うことを、

 

教えてくれるんじゃないかなーって僕は思います。

 

さて、そろそろ疲れてきたので僕もクリーニングしようかな。

 

あ、何かオススメの芸人さんいれば教えてください。

 

うめ

【000】プロローグ

はじめまして。

 

都内在住、仕事は映像屋さんのうめです。

 

今回は初稿ということで、なぜ記事を書こうと思ったかをお話します。

 

さっそくですが、現在、三重苦の真っ只中にいまして、

 

大好きな彼女にフラれ、

 

会社では他者と衝突し、

 

悩みを打ち明けれる友人もいない。

 

「うん、そんな時代もあったよね」と、人間であれば抱えてそうな悩みばかり。

 

人によっては寝ると忘れちゃうレベルなのかもしれない。

 

ただ、今の自分の頭に真っ先によぎる感情は、

 

「死にたい」

 

別に今に始まったわけではない。

 

この衝動は、人生において今まで幾度もなく押し寄せてきている。

 

だが今回はうめ至上、ベリーベストオブ死にたいのである。

 

まるで自分の身体が、四方黒くて高い壁に苛まれているような気分。

 

空間の中で、うめはとにかく暴れまわる。

 

そんな壁を、外からコンコンとノックする輩がいた。

 

そして一言。

 

「じゃあ、死ねば?死ねるものなら」

 

もう一人のうめである。

 

すると、壁の中にいるうめは、無言でその場にへたれこむわけである。

 

おそらく、最近の心中はこの繰り返し。

 

昔、松本人志が番組で言っていた。

 

「明日の12時にあなたは消えます、って言われてすっと消えれるなら、別に俺それでええもん」

 

人間が、簡単に、楽に、誰にも迷惑をかけずにすっと消えれるのであれば、おそらく自殺率はもっと跳ね上がると思う。

 

だが、幸か不幸か、現在も跳ね上がらず(むしろ下降傾向にある)に済んでいるのは、先駆者たちの手段と、死に到達するプロセスを想像すると、大変苦しみながら死んでいくということが明白だからだろう(無論理由のひとつにすぎない)

 

首吊り、飛び降り、電車に突っ込む、薬の過剰摂取etc...

 

「やっぱ無理!」

 

こうして今日もうめは生きている。やっぱり苦しいのはいや。

 

でも、昔から思いつめると何をするかわからないサイコな部分があるので、

 

この先、本当に自殺する日が来るかもしれない。

 

仮にその日が来るとしても、それまでの期間、ずっと死にたいと心の中で連呼しながら、だらだらと過ごすのか。

 

いや、

 

「せめて死ぬ前に、何か残せるものはないのか」

 

長くなりましたが、これが僕の記事を書こうと思った理由です。

 

 

単純。

 

なので、これから死ぬまでの間、生きていて思うことを、このサイトにて綴ることにしました(遺書?)

 

この行いが自分のためなのか、他人のためなのか、どちらかと聞かれると、正直半分半分です。

 

自分にとっては、自分の行動を改めて振り返るもの。

 

他人にとっては、見て頂いた方々それぞれの人生や思想に、何らかの刺激があればいいなと思ってます。

 

それでは死ぬまでの間、

 

よろしくお願いします。

 

うめ